こんにちは!
長崎大学生涯教育センタースタッフです。

5/17(土)に長崎大学公開講座「長崎学通史とキリスト教文化」の第2回を開催しました!
第1回のアンケートより受講者様からたくさんの質問をいただきました。
その質問のひとつひとつについて丁寧に原口先生が回答するところから、
本日の講座がスタートしました。
座学を30分ほど行い、
天候がやや不安定ではありましたが、
休憩をはさみ
雨脚がひどくなる前に長崎大学から浦上フィールドワークへ出発!

出発した途端!!
大きな雨粒が降ってきて受講生の皆さん、スタッフ
急ぎ雨具の準備をしました(>_<)
雨がひどくなるようなら途中で講座終了になるかもしれないと、
ドキドキでした…。


大学より浦上川沿いを歩き、
秘密教会跡、アベスト様史跡、白山墓地など
隠れキリシタンの史跡を巡りました。
この時代の信者は、自分の命を顧みず信仰を貫いたのでしょうか。
また、遠く異国の地より布教のためにきた宣教師たちも
長崎の地で殉教をすることとなったのでしょう。
史跡を巡りながら、受講者の皆さん
原口先生の話に耳を傾け、禁教令時代の長崎について学びました。
この時から
雨も小雨から止み、空も少し明るくなってきました。

『長崎の鐘』の著書であり、熱心なキリスト教信者だった
永井博士が亡くなるまで過ごした「如己堂」
ここは、浦上の隠れキリシタンの中心「帳方屋敷」
(今で言うと、暦(カレンダー)を管理していた場所)になります。
島根から長崎大学医学部へ進学した永井博士がこの場所で下宿し、
奥様に出会われたそうです。

「如己堂」より途中、秘密教会跡の前を通り「浦上天主堂」へ
天主堂の正面より左側を進んでいくと、
西坂で殉教した日本26聖人殉教者の「聖ルドビコ茨木」の
銅像が建てられています。
寒い2月
雪が降り積もる千キロもの道のりを歩いた小さい足跡には血が滲み
自分が磔(はりつけ)られる十字架に走り寄り
殉教できることを喜んでいたそうです。
長崎とキリスト教は切っても切り離せない
深い歴史を知ることができたフィールドワークとなりました。
次回、第3回は聖歌実習や禁教令時代に唱えられていたオラショ(祈り)
南蛮キリスト教文化とその変容について学びます。
次回をお楽しみに♪