こんにちは!
長崎大学生涯教育センタースタッフです。

5/24(土)・5/31(土)に長崎大学公開講座「長崎学通史とキリスト教文化」の第3回・第4回を開催しました!
毎回、講座の最後に受講者の皆様からたくさんの質問や疑問をいただき
その問いに関して、原口先生が1つ1つ丁寧に回答をするところから始まります。
第3回の質問より
『浦上街道』と『時津街道』どちらの呼び名が正しいのでしょうか?
みなさんは、どちらが正しいと思いますか?
同じ街道なのに呼び名が2つある不思議。
正しいのは『時津街道』
あるとき、長崎市の偉い方が、隣の町の名前なのはどうなのか?
と、いうことより観光される方がよりわかりやすくなるために
『浦上街道』へと変更となったそうです。
今では、浦上周辺を通るので『浦上街道』という呼び名が定着をしています。
でも、街道や町の名前は、昔の旅人の道しるべ(行き先)のなので、
『時津街道』となります。
地名の由来がこんな単純なことで変更になったりしてしまうことに
受講者の皆様も驚かれていました。
『浦上街道』ですが、
現在の浦上が中心の町ではありません!
実は、長崎駅周辺(現在の八千代町~西町周辺)が浦上だったのです。

処刑場が多く、
特に1622年 元和の大殉教で多くの教徒が火あぶりで殉教されました。
その時の様子が絵として残されており、
逃げた宣教師について役人がどう思ったかについて原口先生から説明がありました。
しかし、キリスト教の惨劇が語られる一方で
禁教令が発令される前、布教当初は、宣教師によって
多くの寺や神社が燃やされています。
その跡地に教会を建て、布教活動を行っていました。
この話を聞くと、どちらが正しく、どちらが悪いのか。
言いようがない気持ちになります。


そんな禁教令時代に口頭で伝えられていた『オラショ』について
始めは資料を見ず、原口先生が言われたことを
受講者の皆様が続けて音読することが行われました。
紙などに書いてしまうと罰せられる時代。
何度も何度も繰り返し、耳で覚えたそうです。
元は、ラテン語なので難しく、宣教師より聞くことができなくなった時に
口伝えされたものが『オラショ(祈り)』になります。
歌によって伝えられた『オラショ』もあるのですが
多くのものはメロディーが残っていません。
数々の伝承より、こうではなかったか?という音階で
原口先生が自ら作曲をされたそうです。
原口先生の伴奏に合わせ、受講者の皆さんで歌いました。

昔の浦上周辺は河川が多く幅も広かったことにより
船が海から川を上り接岸しやすかったことから病院が多く建てられていました。
多くの医術が伝えられた『長崎蘭学』
原口先生の著書「吉雄耕牛」より当時、どのようなことを阿蘭陀(蘭学)から学んだか
原口先生が調べられた資料を投影しながら
受講者の皆様にわかりやすく見解を述べていました。
数々の医学に関するオランダ語で書かれた著書を
長崎県警跡にあった『オランダ屋敷跡』で日本語に訳されていました。
ただ、世の中にでたのは、解剖書のみ。
薬学に関しても翻訳をしましたが、
『毒は薬となり、薬は毒となる』
世の中に出してしまうと危険であるため、出すことができなかったそうです。
本日で、原口先生の講座が終わることに
「もっと、浦上周辺やキリスト教文化について知りたい」
「原口先生の見解、知見を聞きたい」
「来年度もこの講座があれば是非受講したい!」
と、多くの受講者の皆様から嬉しいお言葉をいただきました!
原口先生もとても乗り気でしたので、
受講者の皆様のお声を反映したよりよい講座を
また原口先生と実施できるように調整したい思います。
次回をお楽しみに♪